ケイビーエス 社員ブログ

多言語『翻訳・DTP・印刷・WEB』 ケイビーエス株式会社 社員のブログです。

散歩は古墳で

Posted by : bang.

古墳の上を散歩している、と言えばどんな想像をするだろうか。

御勝山古墳は5世紀ごろに造られた前方後円墳だ。南半分の前方部分は、いま御勝山南公園となって、地域の住民の憩いの場所として愛されている。晴れた日は、桃谷の家から自転車で行く。家の近くには桃谷公園があるのだが、御勝山公園のほうが散歩には向いている。ジョギングコースとストレッチコースの2列が整備されている。スタートから50メートル、100メートルと印されていて、1周270メートルだ。

1周がさほど苦にならない。圧倒的に中高年の女性たちが多い。ひとりであるいはふたりでおしゃべりしながらウオーキングしている。愛犬といっしょに散歩する人もいる。歩いたりストレッチしたり、思い思いに楽しんでいる。みんな何周しているのだろうか。わたしたちは、行っては休み、3周してはしばらく休み、あと3周して少し休憩して終わるのがたいていのメニューだ。

朝早く行くと、ラジオ体操をしている。それから3か所でバドミントンのコートを作り、8時頃まで対戦している。ハトを餌付けして訓練しているおっちゃん、真っ黒のいでたちでジョギングしているおばちゃん、犬を自転車のかごに乗せてくるおっちゃんなど、見分けが少しできるようになってきた。

歩きながら見渡すと、古墳の上だけに道路からは小高く盛り上がっていて、勝山通りをはさんで北側に円丘部が望める。騒々しかったセミの鳴き声もすっかり止んで、緑の樹々がすこしずつ秋の装いに変化していっている。最近はわたしたちもこの公園になじんできたなあと思う。

テレビで再び「八甲田山」を見て

Posted by : uema.

先日、夜の遅い時間に何気なくテレビのチャンネルを回していたら、「八甲田山」を放送していた。放送は既に始まっていて、途中からになってしまったのですが、最後まで見ました。

実はこの映画、三十数年前に映画館で観たのです。新田次郎の「八甲田山死の彷徨」を原作とするこの物語は、実際にあった話を元に書かれたそうです。

内容は、日本陸軍が日露戦争で進軍した際、雪深いロシアの地を想定し、その訓練として青森県の八甲田山を雪中行軍することになり、北大路欣也=神田大尉の青森歩兵第五連隊と、高倉健=徳島大尉の弘前第31連隊とが、別々のルートを辿り、山中のある地点で合流する事になっていたが、記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇し、神田大尉側の210名の連隊の内199人が死亡するという大遭難事件の話です。

この映画は、私には結構印象深く残っており、随所に流れるテーマ音楽のメロディーなどは今でもはっきりと覚えていて、「八甲田山と言えば絶対このメロディー」と言い切れるほど自信があったのです。

ところが、今回テレビで見ていると、このメロディーが、自分が今までこれだと思っていたものと少し違うのです。そればかりか、この映画での北大路欣也の名台詞「天は我々を見放した」も、私の記憶では「天は我を見放した」と覚えこんでいたのです。

まあ、映画館で一回観ただけで、メロディーや台詞を間違いなく覚えるというのは、考えてみればかなり無理があるのかも知れませんが、自分では、今回テレビで見るまでは、絶対間違いないと思っていましたので、かなりショックを受けました。

それと、やっぱり映画は映画館で観るのが一番だ。同じ映画でもテレビで見るのと映画館で観るのではスケールが全く違って感じる。膨大な制作費を投じて作られた映画は、映画館で観てこそ値打ちがあるものだと痛感しました。

 

教えてもらった事

Posted by : matsumoto.

8月24日の大阪商工会議所異業種交流会フォーラム・アイ主催、
「平和を考える勉強会」に参加しました。

在日3世の私。
実は、自分の祖父母からどういった経緯で日本にきたのか
聞いたことがありません。
私が現在しっている情報は、両親が祖父母から聞いた話なのです。
私自身が自分のルーツに興味を持ったのが20代で
それ以前に祖父母は亡くなっていますので聞く機会もなかったのですが
祖父母たちも自分の苦労話を孫に聞かせたくなかったのかもしれません。

勉強会の資料として用意した冊子に書いてあった人民軍と国連軍のことを
もう少し詳しく知りたく、会長に教えてもらいましたが
疲れていらっしゃったにも関わらず、(会長は3:00に起きてしまったそうです)
わかりやすく教えて下さいました。

会長から教えてもらった韓国の歴史。
できることなら、自分の祖父母からも聞いてみたかったです。

「本当に戦争は嫌ですね」と言った私に
「経験している僕はもっとそう思うよ」とおっしゃいました。

食道がんの治療を、ずっとがんばっていらっしゃった姿を
間近で見ていたので、舞台でお話をしている会長を見て少し涙ぐんでしまいました。
きっと、あの日集まって下さった皆様も同じ気持ちだったと思います。

自分の祖父母からの話は聞けませんでしたが
KBSに入社して会長から話が聞けたことは、とても貴重でした。
そして、会長を陰日向に支えていた専務の姿も「妻」として私のお手本となりました。
もっともっと会長の色んなお話を聞いてみたいです。
そのためには長生きして、色んな所へ飛び回ってほしい。

あ、でもそうなると専務が大変かしら。。。

平和を考える勉強会

Posted by : others.

8/24(金)午後6時半から行われる、平和を考える勉強会で、弊社会長の高仁鳳が講演会を行います。

このパンフレットを作っていたのですが、なんとか本日仕上がりました。
会長の半生やKBSの歴史など、とてもいい作品になったと思います。

日時: 8/24(金)午後6時30分(6時開場)〜
場所; 大阪市立東成区民センター(地下鉄今里駅西徒歩3分)
資料代; 500円
となります。お問い合わせ・ご参加お待ちしております!

ハイキングからの偶然と仕事のやりがい

Posted by : 呂咏鴻.

だいぶ前のことですが、5月19日に私はJR西日本主催の関西在住の中国人同士ふれあいハイキングに参加しました。場所はJR京都線山崎駅周辺でした。天王山、宝積寺、観音寺、Suntoryビール工場のあたりを散策し見学しました。参加していた人は留学生、訪問学者、社会人などでした。今回のハイキングの主催者はちょうど1年半前に私は堺市国際交流会で知り合った中国人の友達(当時はまだ留学生)でした。私は去年携帯が壊れてしまって昔の友達と連絡が全部取れなくなった。思いがけずに、今回ほかの中国人の友達の紹介でこのハイキングの参加をきっかけに、この昔の知り合いと再会できました。偶然ですね。世間は小さいと実感しました。話し合う中で、この友達は日本の大学卒業後JR西日本に就職したとわかりました。もうひとつの偶然のことはこの春KBSで翻訳・DTPしていたJR-WEST PASSという仕事もこの友達の仕事と関わっているそうです。久しぶりに旧友と再会してびっくりするほど偶然のことが多かったんですね。

ハイキングの最後参加した人々全員は一枚のJRのチラシを配られました。一緒に行った親友は「これは君の会社作ったの?」って聞いてくれた。私はすぐチラシを見て、あっ、ほんまや、これはうちの会社作った「JR-WEST PASS関西エリア中国語版」やって言い出した。自分の手による翻訳校正を経て自分の会社で作られた作品は広く社会で使われているのを見たら、その時すぐものすごく仕事のやりがいを感じました。やっと架け橋という理想が叶ったなと感じました。これからも頑張り続けて行くと思います。

            『JR Kansai WIDE Area Pass』中国語版

   

 

 

 

 

宝積寺            観音寺       Suntory工場

ShrineがTempleに変わる?

Posted by : koh.

先日、伊勢神宮の事務をつかさどる神宮司庁が、神宮の英語訳である「Shrine」を「Shinto Temple」に変える検討をしているというニュースが、毎日新聞サイトにありました。

以下引用

【伊勢神宮:英訳は「Shinto Temple」に?】

伊勢神宮の内宮へ続く宇治橋

20年に1度の式年遷宮を来秋に控え、三重県伊勢市の伊勢神宮の事務をつかさどる神宮司庁(同市)が、「Shrine」などと従来訳してきた神宮の英語名称を「Shinto Temple」に変更する検討を始めたことが分かった。多くの英和・和英辞典は神社をshrine、寺をtempleとし、中学校でも最初にこう習う。違和感を持つ人も出そうだが、神宮司庁は「外国人に神宮、神道を分かりやすく説明するための検討。専門家の意見を聞きたい」としている。【大野友嘉子】

以下詳細は下記原文をご覧下さい。
http://mainichi.jp/select/news/20120612k0000e040188000c.html

日頃観光パンフレットの翻訳などで、それこそ観光スポットとして神社の翻訳は数多くしていますが、もし「Shrine」が「Shinto Temple」になったら、これまでの数多くのパンフレットや看板も作り替えることになるんでしょうか…。

混乱するからShrineのままでいいんじゃないかと思う反面、会社としては、名称変更してもらった方が仕事が増えるかもという皮算用をしてしまう…ジレンマです。

「CSS3 ドラえもん ver3」って知ってます?

Posted by : よこさわ.

webの仕事をしている人には結構有名な、「画像を使わずcss3で描いたドラえもん」
もうだいぶ前になりますが、html5 + css3の勉強をしているとき、css3で描いたドラえもんを見つけました。

ブログに何か書かなきゃいけないと、思いついたのがCSS3 ドラえもん。久しぶりにサイトを訪れてみると、ver3に進化していました。初代バージョンは、IE8がオチを担当してくれていましたが、もうそれもだんだん少なくなっていくのですね。

まだ見たことない人は、一度ご覧になってはいかがでしょう。
http://shopdd.blog51.fc2.com/blog-entry-1013.html

今までIEの表示に悩まされていたコーディング。これからhtmlのコーディングはだいぶ効率よく書けるかもしれません。とはいえ今でもIE8は多いから、まだまだ先の話かな…。

大阪駅行きのバスに乗って

Posted by : sute.

6月30日土曜日、大阪市営バス62号住吉車庫前発→大阪駅前行きのバスに乗ってきました。
この日は、あべの橋から乗車、近々リハビリ仲間と行くために、下見として行きました。

約1時間のこの路線、まるで観光バスのようなコースで、本当に面白いんです。
住吉車庫前を起点にあべの筋をひたすら北へ上がり、あべの橋-四天王寺西門前-上六-馬場町-天満橋-天神橋-淀屋橋-肥後橋-堂島-桜橋-大阪駅前終点。あべの筋から谷町筋、松屋町筋から土佐堀通りを経て、四ツ橋筋へと、市内の真ん中をつき進みます。

梅田では新しい大阪駅ビルをざっと見てまわり、また同じバスで、あべの橋へと。
途中、中之島公会堂、大阪城公園大手門の真横を通り過ぎたのが、とても印象的でした。
次は途中下車もしてみよう。

個人ブログにも掲載してみました。http://isyuokure.blog.fc2.com/

土曜の朝だからか、親子連れも見かけました。

サウスゲートビル5F、時空(とき)の広場

久しぶりの一眼レフ

Posted by : uema.

今年の正月、長い間義父(妻の父・写真愛好家)に貸してあったキャノン社製の一眼レフカメラが帰ってきた。ここ20年くらいの間は、子どもたちの成長を残そうと、行事の度にビデオカメラやデジタルカメラを使ってきたので、その間一眼レフは殆んど用無し状態だった。子育ても一段落して、今やビデオカメラも全く使う事がなくなっているので、久しぶりに一眼レフの重いシャッター音が聞いてみたくなり、撮影の機会をうかがっていた。

1月に清水寺(初詣)、3月に京都御苑(梅)、4月の初旬に銀閣寺(桜)へと、一眼レフを持参して、色んな場所でシャッターを押した。ちょうど銀閣寺の大文字の大の字を背景にシャッターを押そうとした時に、36枚のフィルムを使い終わったので、フィルムを入れ替えようと巻き戻しにかかると、バリバリバリッといやな音がした。「何じゃコリャ」と、そっと蓋を開けてみるとフィルムがくしゃくしゃになって千切れかかっている。「どうなんの?」と家内、「あかんやろナァ、こうなったら」。それでも、さんざんポーズをとってモデルを気取ってきただけに、まだ何か言いたそうである。永いこと使っていなかったので、フィルムの入れ方も巻き戻しのやり方も自信を持って間違っていないとは言い切れない。気を取り直して、日向の中で新たなフィルムを装填する。そしてまた、あちこちでシャッターを押した。

やっとこのフィルムを使い終わって現像に出した。ずいぶん久しぶりなので、どんな具合に撮れているか非常に楽しみにしていた。ところがである、出来上がったものを見てみると、そのほとんどに変な光が入っていて、まともに写っているものは3枚ほどしかない。何ということであろうか。何ヶ月もかけて撮影したものがこの結果とは、我ながら無様極りない話である。

しかし、これで終わるわけにはいくまい。必ずリベンジしなければいけない。次こそはきっとまともな写真を撮るぞと気合を入れ直してみるものの、原因もはっきりしない状態ではまた失敗するかも知れないという思いも正直ある。いやいや、次こそきっと上手くいく。いかねばならない。いいや、必ずいって見せよう。

大阪の「おかん」

Posted by : matsumoto.

私の母の話です。

実家の前には街路樹があり
秋になると、どんぐりがたくさん実ります。
ウチの娘も「わぁ!」と大喜びで「拾って良い?」と。
ただ、ここはペットの散歩コースでもあり
犬の排泄物も多い。。。
なので、「落ちてるのは汚いからダメ。」と言っているのを
私の母が聞いていたのです。

ある日、小学生の男の子たちが
木に登り、自転車のかごにいっぱいどんぐりを集めていたそうで
「あれなら、落ちているのではないから大丈夫。」と
小学生の男の子たちに、「そのどんぐり、ちょっとおばちゃんに頂戴。」
と話しかけたら、「嫌や。」と断られたそうで…。

ここで引き下がる大阪おかんではありません。
「ここの街路樹はおばちゃんが掃除してるねんで!(事実)」
「言うたらおばちゃんの木やで!(それは違う)」
「ホンマはあんたらが、おばちゃんに『頂戴』言わなあかんねんで!(それもどうかと)」
「全部よこせとは言わんから、一つかみ置いていき!!」

母よ。。。
それは、世間では「カツアゲ」と言うのでは…。

結局、小学生の男の子たちの善意により
母はどんぐり一つかみをGET。
「お兄ちゃん達からもらったよ。」と言いながら
孫にどんぐりを渡す、優しいお婆ちゃん。
その裏の顔は大阪の「おかん」であった。。。

私もそう呼ばれる日は近いかもしれない。。。

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