ケイビーエス 社員ブログ

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生まれ変わる「桃谷駅」

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052KBSの最寄駅は桃谷駅だが、先日行ったとき、美しい桃の花のポスターが目をひいた。大阪環状線改造プロジェクトの一環で、平成28年夏までには桃谷駅が一新されるという。

コンセプトは「桃谷成蹊」。「桃李成蹊」という中国の故事からなぞらえたそうだ。桃や李(すもも)は、その美しい花に魅せられて自然に人が集まり、その下には自ずと道(蹊)ができる。転じて徳の高い人の下には、その徳を慕って自然に人が集まるという意味だ。

 

桃谷駅は、隣りの鶴橋駅にくらべあまり目立たない存在だ。環状線が最初に開通したのは玉造駅から天王寺駅までだが、そのちょうど中間に1895(明治28)年、「桃山駅」ができた。駅のある上町台地東側の丘陵地帯には、昔から桃の木がたくさんあったという。

1905(明治38)年、奈良線に桃山駅ができて、「桃谷駅」と改称された。鶴橋駅ができたのはずっと後の1932(昭和7)年だ。

 

近辺はとても古くから拓けた土地柄で、大阪市内では現存する唯一の御勝山古墳もある。駅の改札口からそのまま出て行くと、左側(東方向)のほうには、5つの商店街がつながっているなが~い商店街が続く。それを抜けていくと「つるのはし跡」の碑がある。日本で最初にかけられた橋とかで、今は川はなく記念碑が整備されている。駅の西側には豊川稲荷別院が建っている。ここは古代には百済寺があったといわれ、現在「堂ヶ芝廃寺跡」という石碑が立っている。

 

桃谷駅界隈は、スーパーや商店が充実していて生活しやすく、子育てにも、病院通いにも便利なところだ。

プール学院、今夏甲子園大阪代表になった偕星学園(旧此花学院)、夕陽丘高校、大阪ビジネスフロンティア高校、通信制・単位制の桃谷高校なども駅から歩いて10分以内だ。

大病院も多く、NTT西日本病院、大阪けいさつ病院、大阪赤十字病院などが徒歩圏内にある。ちょっとショッピングに出かけたいとき、天王寺や梅田、なんばにもアクセスがよい。朝夕は通学の学生たち、昼間は通院やお見舞の方たちで混雑している。

その利便性が買われて、駅の周辺は、高層マンションの新築が相次いでいる。高齢化が進む中にも若い層の人々が入り、すぐ売り切れになるようだ。

 

最近観光地としても、桃谷駅から歩いて行けるコリアタウンが人気を呼び、土日ともなるとたくさんの人々が訪ねる。生野区ではコリアタウンと鶴橋駅と桃谷駅を3角形で結び、「いくのトライアングルタウン」と銘打ってマップをつくって宣伝している。

 

「桃谷成蹊」――多くの人が行き交う――どんな姿を見せてくれるだろうか。

ぐるり大阪城っていいな

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DSC09819先週土曜日、風もなく青空が広がっているのを見て、思い切って大阪城へ。環状線で桃谷駅から森ノ宮駅へ。待ちかねたように大勢の人出だ。噴水のところをそのまままっすぐ進むと、天守閣へ向かう階段がある。これはかなり高い。息を切らさないようにゆっくり登る。

上まで登ると、見晴らしが一気に広がる。大阪城は昭和に建てられた新しい城だが、城門や濠の石積、巨大な城壁石などに古城らしい風情が漂う。玉造口を過ぎて梅林を眼下に見ながらまわって行く。お濠にそって坂を下りていくと中ほどに梅林の正門だ。紅梅、白梅、ピンクの花。満開のもあれば、二つ三つ咲いたものもある。黄色の蝋梅はもう時期が過ぎているようだ。香りを匂いでみる。それほど強く香らないのをみると、まだほんとうの開花ではないのかな。

DSC09836DSC09889梅林は、天守閣の東側にある。梅とお城の写真にはちょうど良いロケーションだ。すこし陽が陰って冷たい空気が流れ込む。シャッターを押すのも手がかじかむ。たくさんの人たちがカメラや携帯、ビデオなど構えて撮ったり送信したりしている。

DSC09845DSC09838梅林から極楽橋を渡って城内へ。少し時間がありそうなので天守閣に上がることにした。エレベーターに長い列ができていたので階段で上がった。城内は博物館になっていて、上から古い順に展示されている。「大阪の陣」の時、徳川秀忠の陣があったという御勝山が屏風絵のところに描かれていた。現在の勝山公園である。8階の展望階まで上がると、大阪一の眺望だ。新しくできたハルカスと小さく通天閣が眺められた。空気が澄んで風が冷たい。東には生駒信貴から金剛高野山へ連なっている。北に六甲北摂の山々もみえる。手前には淀川も夕陽を反射して光っている。ひさしぶりに胸いっぱいに息を吸い込んだ。はればれとした気持ちで帰途についた。
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手話を世界共通語に、パート2

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 以前に「手話を世界共通語に」というブログを書いたが、鳥取県で「手話言語条例」が10月8日の県議会で全会一致で可決成立したという。その夜のニュースで県知事が、自ら手話をしながらインタビューに答えていた。えらいなぁ、と感心しきり。とても画期的で喜ばしいことだ。しかし、聞いてみると手話と言ってもなかなか大変らしい。日本国内でも統一された手話はなく、地域によってかなり違いがあるらしい。このような法令化によって手話も整備され、世界各国の手話も、少なくとも日常会話レベルでは世界共通でコミュニケーションできるくらいになってほしい。手話は小さいときにお遊戯感覚で覚えると一生身につくと思う。聴覚障碍者とだけでなく、世界中の人たちと会話できるのではないか。

平野川のいきもの

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早朝、コリアタウンから平野川のみゆき橋を通って散歩している。朝は街も川面も静かで心が和む。平野川は、ごみの不法投棄など汚い川というイメージが強い。しかし最近川の浄化に力を入れている。ときおり亀が首を出して泳いでいたり、さぎが水面を羽ばたいていたりする。

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このあいだバタバタという水音で橋の欄干からのぞくと、向こうの水面が波打ち大きな輪が拡がっている。何かな、としばらくじーっと見つめる。川は澱んでよく見えないが、なにかが近づいてきているようだ。その間もバシャバシャと水が跳ねる。すると、まじかに70-80センチぐらいの大きな鯉が見えた。よくみると周りに小さな鯉も泳いでいる。小さな鯉は10匹ぐらいもいるようだ。大きな鯉を中心に群れとなって泳いでいた。しばらく目を凝らして眺めていたが、鯉たちは上流に向かって泳いでいった。ときおり大きく跳ね、朝のしずかな水面に大きな波紋を拡げながら。

 

川は、さまざまな生き物が棲み、私たちの心をも癒してくれる。身近にある川がいつも美しく清らかであるように、私もこころせねばと強く思った。

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作文講座

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何年か前にOGS(大阪府グラフィックサービス協同組合)の作文講座に参加した。月1回仕事を終えた後、組合事務所に集まり、缶ビールやジュースを片手に気軽に開かれた。

いつも講師の長谷川先生のかんたんな講義があり、その日の「お題」が出され原稿用紙が配られる。400字、30分以内に作文しなければならない。それを8名ほどの出席者全員で回し読みをする。最後に先生のコメントをもらう。中には完成度の高い作品や専門的なことを書かれていて、冷や汗の連続だった。でも先生のコメントを聞くときは小学生に戻ったようで、なんだか嬉しかった。

文章を書くとき、次のような留意点を挙げられた。

  • わかりやすく書く。
  • 短い文章を心がける。
  • 書き出しに気を配る。
  • 文章のはこびで「起承転結」を大事にする。
  • 品位を重んじる。

これに留意して新聞のコラムなどを読むととても勉強になる。でも最近、とりあえず書き残すことが大切だと思う。会長のように。

散歩は古墳で

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古墳の上を散歩している、と言えばどんな想像をするだろうか。

御勝山古墳は5世紀ごろに造られた前方後円墳だ。南半分の前方部分は、いま御勝山南公園となって、地域の住民の憩いの場所として愛されている。晴れた日は、桃谷の家から自転車で行く。家の近くには桃谷公園があるのだが、御勝山公園のほうが散歩には向いている。ジョギングコースとストレッチコースの2列が整備されている。スタートから50メートル、100メートルと印されていて、1周270メートルだ。

1周がさほど苦にならない。圧倒的に中高年の女性たちが多い。ひとりであるいはふたりでおしゃべりしながらウオーキングしている。愛犬といっしょに散歩する人もいる。歩いたりストレッチしたり、思い思いに楽しんでいる。みんな何周しているのだろうか。わたしたちは、行っては休み、3周してはしばらく休み、あと3周して少し休憩して終わるのがたいていのメニューだ。

朝早く行くと、ラジオ体操をしている。それから3か所でバドミントンのコートを作り、8時頃まで対戦している。ハトを餌付けして訓練しているおっちゃん、真っ黒のいでたちでジョギングしているおばちゃん、犬を自転車のかごに乗せてくるおっちゃんなど、見分けが少しできるようになってきた。

歩きながら見渡すと、古墳の上だけに道路からは小高く盛り上がっていて、勝山通りをはさんで北側に円丘部が望める。騒々しかったセミの鳴き声もすっかり止んで、緑の樹々がすこしずつ秋の装いに変化していっている。最近はわたしたちもこの公園になじんできたなあと思う。

私のおしゃれ着奮戦記

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テレビドラマ「カーネーション」を見ていて、若い頃洋裁を少ししていたことを思い出した。昭和40年代、既製品といえばブラウスやスカートで、スーツなどは仕立てなければならなかった。同僚の女子社員たちは、おしゃれなスーツやドレスを着ている。

私もとしごろ、一念発起、慰安旅行に着て行くスーツを自分で作ることにした。その頃は女性雑誌にのっているスーツなどは後部に型紙が載っていた。私は思いついてから実行に移すのに時間がかかるほうだ。初めてでも出来そうなデザイン、縫いやすくしかも気に入るものとあれこれ迷い、天神橋筋や心斎橋筋で布地を探し、ボタンも買う。母が大きな裁ちバサミを買ってくれた。縫い方は簡単に書いてあるが、用語が分からない。そうこうするうちにどんどん日は近づく。

最初のスーツは、衿なし、ボタンなしのボレロ風の上着に、ワンボックスのスカート。それでも裏地をつけて、袖が腕の形についたときの感激、うれしかった。スカートにも裏地をつけた。

着ていく日の前夜は、たいてい徹夜で、すそかがりなどは朝にしようと寝てしまう。ところが、朝起きると、スーツがハンガーに吊るされている。母が見かねて、すそをかがり、アイロンをかけて仕上げてくれていたのだ。そんなことが何度あったろうか。

そのころの写真をみると、けっこうあれこれ作っていたんだなあ。そでがつったり、ボタンホールがまがったり。でも自分で作ったという満足感でどこにでもよく着て行ったっけ。もちろん、デートにも。



手話を世界共通語に

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わが社は、勝山通りに面してあるため、ときどき看板を見て、一見のお客様も入って来られる。たいていは韓国語翻訳が多い。しかし英語やスペイン語、中国語、タイ語などもある。その日はトルコ語の証明書を日本語に翻訳してほしいというものだった。しかも聴覚障害の方だ。注文の時は健常者の方がいっしょに来られたが、納品の時は、夫婦だけで来られた。

みると夫がトルコ人で妻は日本人らしい。ふたりはしきりに手話で話している。出来上がった翻訳を見て、非常な喜びようだ。ふたりの表情と手話の様子をみて、こちらまでうれしくなった。自転車で二人乗りして帰るのを見送りながら、ほのぼのとしてやりがいを感じた。

ふと何語で話しているのだろうと思った。たぶん、夫はトルコ語で、妻は日本語で、しかしふたりは手話を通して、不自由なく会話している。そうか、手話って共通語になりうる言語なんだ。もし、小学校のときから、世界中で、授業があれば、基本的な会話は習得できる。小さい時覚えたものは身に付くし、忘れない。むしろ英語教育より、覚えやすいく、使える範囲も広いし、実用的ではないか。手話も国によってかなり違うらしいが、それを、障害者だけでなく健常者も含めた共通語として生かすことは出来ないか。

その日は、すごい思いつきやなあと、ひとり興奮していました。皆さんはどう思いますか。

ゲリラ豪雨で

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先日のゲリラ豪雨のため、会社一帯が浸水し、玄関マットやゴミ箱が流された。社内にも水が入ったようで、床がびしょぬれになっている。

もう30年ぐらい前に、夜中に大雨が降り勝山通りは冠水し、会社の1階が浸水した。当時はオフセットの印刷機があったが、機械の下部が水浸しになって使いものにならなくなった。保険も入っていず、思案にくれたが、仕事のためには印刷機が無ければどうしょうもない。たしか大沢商会の機械だったが泣く泣く買い換えた。

大阪は、昔から海だったので、低地が多い。生野区は、上町台地の東の裾野に位置し、雨が降れば、水が低いほうへ走るように流れていく。しかし近年治水に力を入れ、あまり浸水被害を聞かなくなっていた。

今回は、土曜日の午後で、会社は休みで誰もいなかったので、余計被害が出たのかもしれない。ゴミ箱の行方はわからず、新しいゴミ箱を買うことになった。

春よこい

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2月にバイオレットの鉢植えを買ってきたが、忙しさにかまけてほったらかしていた。ところがこの2、3日でつぼみがふくらみ、かわいい花を咲かせた。時がめぐりくると美しい花を咲かせる、そんな自然の姿に心をうたれる。

しかし、自然の姿は時に恐ろしい姿を現わす。東日本を襲った大地震と津波。これもまた時が満ちるに及んで起こったことなのだろうか。1年毎、10年、百年、千年、地球単位、気の遠くなるような時のその瞬間を捉えた映像、津波がまるで生き物のように町や畑を蹂躪していった。自然の猛威の前に人間はあまりにも無力で立ち尽くす。けれどやがて被災の地にも、瓦礫の下から青草が芽吹き、花をつける日がきっと来るに違いない。

 

被災された皆様にお見舞いを申し上げます。亡くなられた方々のご冥福を祈り、家族や友人を失くされた方々に心からの哀悼を捧げ、一日も早い回復をお祈り申し上げます。

 

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