Merry Christmas!!
クリスマス前に「おかーしゃん、サキちゃんのツリー見てー」と。
なんだろうと、振り返ると指で小さな三角を作って
「ほらー。ツリーだよー。」と…。
小さな指で作った小さなツリー。
これなら、おかーしゃんも飾りつけ楽なんだけどな…。
さて、クリスマスイブの日。
「サンタさん、サキちゃんの家で休憩すると思う」
「休憩したらデザート欲しいと思う」
「お饅頭とお茶が良いと思う」
「イスもあったら座れると思う」
なぜか、サンタクロースが我が家で給水すると
信じて疑わない娘のために
饅頭とお茶をセット。
夜中に、主人が食べたのは言うまでもないw
主人の食べ散らかしを
「やっぱり食べてるぅ~!!」と朝確認して大喜びの娘。
皆さんのクリスマスが素敵な時間でありますように!
2/19 「高仁鳳さんを偲ぶ会」に出席して
2013年、2/19に在日基督教会館(KCC会館)にて催された
「高仁鳳さんを偲ぶ会」にKBSの社員一同出席いたしました。
会の模様は、ご参席いただきました皆様のブログ等に
掲載していただいております。ありがとうございます。
(「高仁鳳さんを偲ぶ会」で検索していただくとHITします)
私には4歳の娘がいます。
19日は、偲ぶ会へ出席するため夜が遅くなるので
主人と私の実家へ協力を求め
娘には「お母さんは、この日は仕事だからね」と話していました。
当日の朝、起き出した娘がパジャマのまま
色鉛筆を持って絵を書き出しました。
そして、
「これ、おかーさんのかいしゃのかいちょ」と言って
2枚の絵をくれました。
絵を見てびっくり!!
会長がお気に入りの緑の韓服を着ているのです。
頭にはトレードマークの韓服の帽子まで!
2枚目は、「おしゃしん撮ってるの」と…。
娘は会長と1度だけ、弊社のBBQでお会いしてますが
その時の会長の服は、この緑の韓服ではなかったハズ。
そもそも、今夜が偲ぶ会とは娘に言っておらず、
当日の朝、突然「かいちょ」と…。
「あぁ、会長が『カデヂャ、今日はよろしく』と言いにきてくれた」と思いました。
私には残念ながら見えませんでしたが幼い娘には見えたのかもしれません。
(私はぐっすり寝ていました)
会社へ行って、その話をして絵を専務に渡すと
「なんでウチには来てくれへんねんやろ…」と
少し寂しそうにおっしゃっていましたが、
いえ、毎日来ていると思います。見えていないだけです(笑)
偲ぶ会が始まって、当日私は李次長と歌の披露をしたのですが
「きっと、今ビデオ回してるんやろうな」と娘のおかげで
会長の存在を感じることが出来ました。
今でも会社の行き帰り、会長が自転車で「あんにょん!」と
手を振っている姿が見える気がします。
今まで、「見える気がする」と思っていましたが
きっと、本当に乗っているのかもしれません。見えないだけで。
会に集まってくださった方々ひとりひとりの所へ
ニコニコとお礼を言っていることだと思います。
ビデオをまわしながら(笑)
ケガ
先日、夕飯を作ろうとニンジンを切っている最中に
「あ、お鍋が噴いてる」とよそ見をしたら
親指をざっくり爪ごと3mm程度、切り落としてしまいました。
ひぃいいええええええ!
焦って、とっさに親指を口にいれましたが
おぉおおええええええ!
私は生まれて初めて、こんなに大量の生き血を飲みました(汗)
とにかく血が止まらない!
指先からぴゅーぴゅーとあふれます。
親指の付け根をぐっと抑えること30分。
なんとか吹き出すのは治まりましたが、たらたらと流れて
しかも、当たり前ですが痛い。。。
それでも、夕飯を作り後片付けをし、娘をお風呂にいれました(母ですねぇ)
翌日、あまりの痛みに外科へ行ったところ、
「こういった傷の場合、5~6時間以内に
病院へいかないと元に戻らないかもしれない」と言われ…
ショック(T◇T)
そうか、指が欠けたまま戻らないのか…としょんぼり。
「消毒するからね、毎日通院してね。あと、1週間は濡らさないこと。」
そう言われて、せっせと通院。
お風呂や洗いものをする場合は指サックをして
濡らさないよう気をつけたところ、
約2カ月経った今、まったく元通りになりました!
おぉー…。
やはり、ちゃんとお医者さんに行ってきちんと治療すれば治るんだ。
そういえば、10年ほど前に同じようなケガをした時の傷は
お医者さんにも行かず、ほうっておいたため
今も傷跡が残ったままです。
ケガをしたら5~6時間以内に病院へ行くこと。
それが無理でも翌日には病院へ行けば治る可能性が高いこと。
今回、かなり痛い思いをしましたが良い勉強になりました。
年末が近づくにつれ、気ぜわしい日が続きますが
皆さんもケガなどないよう、くれぐれもご注意ください。
教えてもらった事
8月24日の大阪商工会議所異業種交流会フォーラム・アイ主催、
「平和を考える勉強会」に参加しました。
在日3世の私。
実は、自分の祖父母からどういった経緯で日本にきたのか
聞いたことがありません。
私が現在しっている情報は、両親が祖父母から聞いた話なのです。
私自身が自分のルーツに興味を持ったのが20代で
それ以前に祖父母は亡くなっていますので聞く機会もなかったのですが
祖父母たちも自分の苦労話を孫に聞かせたくなかったのかもしれません。
勉強会の資料として用意した冊子に書いてあった人民軍と国連軍のことを
もう少し詳しく知りたく、会長に教えてもらいましたが
疲れていらっしゃったにも関わらず、(会長は3:00に起きてしまったそうです)
わかりやすく教えて下さいました。
会長から教えてもらった韓国の歴史。
できることなら、自分の祖父母からも聞いてみたかったです。
「本当に戦争は嫌ですね」と言った私に
「経験している僕はもっとそう思うよ」とおっしゃいました。
食道がんの治療を、ずっとがんばっていらっしゃった姿を
間近で見ていたので、舞台でお話をしている会長を見て少し涙ぐんでしまいました。
きっと、あの日集まって下さった皆様も同じ気持ちだったと思います。
自分の祖父母からの話は聞けませんでしたが
KBSに入社して会長から話が聞けたことは、とても貴重でした。
そして、会長を陰日向に支えていた専務の姿も「妻」として私のお手本となりました。
もっともっと会長の色んなお話を聞いてみたいです。
そのためには長生きして、色んな所へ飛び回ってほしい。
あ、でもそうなると専務が大変かしら。。。