ケイビーエス 社員ブログ

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新 緑 の 明 石

Posted by : sute.

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ゴールデンウィークの5月1日、大阪駅からJR新快速で37分の明石に行ってきました。須磨あたりから海が見え始め、舞子に近づくとあの壮大な明石海峡大橋が見えるではありませんか。淡路島とつながる世界最長の吊り橋は見事としか言いようがありません。

明石駅前には立派な明石公園があり、まぶしいほどの新緑が出迎えてくれました。実はこの日、以前から足をのばしてみたかった明石球場で兵庫県春季大会準々決勝の2試合が組まれていたのです。甲子園センバツで8強入りした明石商業、大好きな報徳が勝ち、夏へのシード権を手に入れました。さすが高校野球ファンが根強い土地柄とあって大入りで、私もナイスゲームに立ち会いとても満足しました。

20160501_053930195_iOS公園をゆっくり散策して見晴らしのいい高台へ出ました。海にむかって左には明石海峡大橋、正面には淡路島が見渡せました。明石城は珍しく天守閣が建てられなかった城跡らしく、石垣の上の櫓(やぐら)が残っていました。また、剣豪宮本武蔵も明石の町割り(今でいう都市計画)に関わったそうです。
20160501_070405873_iOSツツジが満開のお寺や神社を通り抜けると、「子午線標準柱」の大きな柱が…、そう、ここが東経135度線、日本の標準時間となるんでしたね。日も傾むいてきて、残念ながら天文科学館は次にしました。

駅の方へ戻りつつ、のども乾いてきます。あとはこれしかありません。明石といえばタコ、お魚で有名です。とても新鮮、ぷりぷりした魚をビールといただき、満喫の明石をあとにしました。

80年前の環状線 「てらだちよう」駅

Posted by : sute.

IMG_1763本ブログの“生まれ変わる「桃谷駅」”にも書かれているが、JR大阪環状線では各駅のリニューアルが進んでいる。
そんな中、桃谷と天王寺の間にある寺田町駅のホームでは、古い木製の駅名表示板が発見され、関心を集めている。

改装工事中の8月28日、広告看板を外したところ見つかったもので、発見直後、私はそれとも知らず、ホームのいつもの場所で立っていた。
鉄道マニアのカメラの先を見ると、ひらがなで大きく「てらだちよう」と「よ」は大きく、「天王寺区」は「區」と旧字体で手書きされていた。それは誰が見ても時代がかっていた。

ネットで調べてみると、「寺田町駅付近は駅開業に伴って高架化工事が行われ、当時の構造物が今も使用されている」「左書きの表記は昭和初期には広まっていた」「寺田町駅付近は空襲の被害を受けていない」などの点から、1932年の寺田町駅開業時のものではないかと見ている。(ホームページ『THE PAGE』)
驚きのJRでは、貴重な鉄道遺産として、寺田町駅か、来春開業の京都鉄道博物館での保存を検討しており、鉄道ファンならずともそう願いところだ。

環状線は昔も今も私の足として最も近い存在だ。80年以上も前から駅を守ってきた表示板が思わぬ形で光を浴び、駅を乗降する人々をいま再び見守っているのだ。
場所は、JR大阪環状線「寺田町」駅、外回り2番線ホーム北側にある。

太平洋の波は高かった

Posted by : sute.

2014-07-07 16.09.56和歌山の白浜温泉に初めて行ってきました。天王寺から特急くろしおに乗ると、列車は緑深い山の間と海岸沿いを交互に走りながら、2時間少々で着きました。

途中、海南、箕島あたりではあちこちの小高い山に風力発電機がみられました。

 

白浜温泉といえば、道後、有馬とならんで三古湯と言われるそうですが、 とにもかくにも雄大な太平洋を前にした露天風呂は最高でした。湯船につかってぼーっとしながら沐浴する喜びは、もうたまりませんでした。

 

また、観光地として有名な三段壁(さんだんべき)と千畳敷2014-07-08 10.19.18(せんじょうじき)を廻りました。長い歳月をかけて波の浸食で出来たのでしょう、その雄大な断崖絶壁は、近づいていくと思わず足がすくみました。

おまけに台風が近づいていたために、海はしけており、押し寄せてくる波はどんどんと高くなり、海岸に打ち寄せては引いていました。

 

 

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予定していた三段壁洞窟見学も天候のため閉鎖かと思いましたが何とかできました。エレベーターで一気に降りて洞窟へと。海から洞穴開口部へと荒波が打ち上げられてくるのでした。

 

地のさかなも新鮮で食べ物もおいしかった白浜ですが、その自然のスケールの大きさには圧倒されました。

桜の通り抜け

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2014-04-14 15.31.37ずいぶん久しぶりに桜の通り抜けに行ってきました。造幣局の南門(天満橋側)から北門(桜宮橋側)への一方通行なので、通り抜けと言われたようです。ソメイヨシノより遅く咲く八重桜が、あちこちに、とてもきれいに咲いていました。

昔行った時の記憶は砂ぼこりと人ごみでしたが、かわらないのは人の多さでした。毎年、1週間でなんと60万人近くの花見客が訪れるそうで、地方や中国からの観光客も多く見かけました。

桜ノ宮への大川沿いも露店がえんえんと続き、ライトアップを目指して来る人たちであふれていました。
夕暮れの中、なつかしい天満の街ををとおって帰路につきました。

51年ぶりの懐古…HOTOKU

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もっと早く書きたかった。でも、もったいなくて暫くは心に留めておきかったのが事実かもしれない。2012年9月22日土曜日の昼過ぎ、尼崎記念公園野球場での話。またもやステの高校野球の話題か!と、思われる方、しばしの間、お付き合いの程お願い申し上げます。
なぜなら、51年ぶり即ち半世紀ぶりの出会い、いや初対面が実現したからだ。
時は、1961年夏の甲子園、小学校2年の自分は毎日熱戦をテレビで観ていた。倉敷工vs報徳学園。
試合は9回まで0―0の投手戦で延長に。11回表に倉敷工が一挙6点、これにて報徳はくやし涙か? と、思いきや、なんとウラの報徳も一挙6点入れて再延長。
手に汗握る自分は、延長12回ウラに報徳が1点を入れ、サヨナラ試合をこの目で確認した。これが伝説的な「報徳・奇跡の大逆転劇」といわれる試合である。
それ以来、夢中になり続けてきた春・夏の高校野球。特に、報徳への思い入れは強かった。
そして、ようやく実現した尼崎での秋季大会、対明石商戦。試合前に私の前に座られる方に学生も、大人(OBと思われる)たちも一礼をして行く。

関学に勝った報徳の選手達(夏の兵庫大会2013.7.14 尼崎市記念公園野球場にて)

関学に勝った報徳の選手達(夏の兵庫大会2013.7.14 尼崎市記念公園野球場にて)

そして落ち着くや、「自分は逆転報徳のファンでして、大阪から来ました。確か小さい頃、延長戦で6点入れられても6点を入れかえして、逆転勝利したことが今日まで脳裏から離れずに、いまここに来ることが出来ました」と。
すると、間髪入れずに「その時のキャッチャーが私です。となりはピッチャーです」と。
「えっ! あの時の……」絶句せずにはいらなかった。「でも50年も前のことをよく覚えてはりましたなぁ。オイ! 現役生にこの方に感謝しなさい」と言われた。そして回りを見渡すと、OBの方たちで超満員。報徳から慶応大学へと招かれた福島元監督もおられた。
そのOBの方たちの中に自分がいる。なんと素晴らしい、この日が来ることがまるで描かれたように試合を観続けた。
50年の余韻は今でも続いている……。

ストレッチ !!

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おしり

両足にお尻をつけて出来るだけ前へ屈曲する

「腰痛の人は全国に推定で2800万人いることが、厚生労働省研究班の調査でわかった。40〜60代の約4割が悩んでいた」(3月24日朝日新聞)。実際いろいろ調べてみても、腰痛の原因が判明するものは全体の15パーセントほどで、あとの85パーセントは原因が特定できないという。

 

四つん這いになって猫が威嚇する時のような体勢、反対は背中を反らせて顔を上に上げ胸を張るます

四つん這いになって猫が威嚇する時のような体勢、反対は背中を反らせて顔を上に上げ胸を張ります

実は私も腰痛をかかえて3〜4年になるが、骨のレントゲンを撮っても、特別異常なし。

椎間板ヘルニア、腰部脊柱狭窄症、腰椎分離症などでもない。

腰痛は、人間が二足歩行になって以来の宿命と言われているのだ。

 

 

左手と右足を上げる。支えるのは下腹あたりの筋肉で、左右の意識は体の真ん中

左手と右足を上げる。支えるのは下腹あたりの筋肉で、左右の意識は体の真ん中

といっても、つらい。ギックリ腰のような激しい痛みと違い、左腰部に常に重〜いものをかかえているようで…。

整骨院の電気治療とマッサージを続けても一向にましにならなかった。

 

腸腰筋。足を前後に開き、膝をつきます。 胸を張って腰を前に押し出すように

腸腰筋。足を前後に開き、膝をつきます。
胸を張って腰を前に押し出すように

その頃、新しいPT(理学療法士)と出会った。痛いだろうけど、かばってばかりせず、私のような筋肉がこわばっている腰痛の場合は、むしろ体を動かすこと。具体的にはストレッチ。

 
キーワードは、肩胛骨、骨盤、股関節、多裂筋、腸腰筋ets…、体幹インナーマッスル(腹筋というより腹圧を高める)。

 

いま流行のインナーマッスルは、体の深層部分の筋肉を鍛え、腹式呼吸しながらストレッチをする。鼻から息を吸って(お腹がプックリと大きく膨らみ)、口をすぼめてゆっ〜くり、息を吐ききる(お腹がスーッと凹む)。

 

息を吐きながら腰を曲げ、ヒザは手でフォローして

息を吐きながら腰を曲げ、ヒザは左手でフォロー

慣れてくると、自然に力は抜けていき、体が伸びていく。赤ちゃんは誕生した時から腹式呼吸なんですね。
いま腰痛でなくても、予防や筋肉、関節の柔軟性向上のためにもストレッチはおすすめです。いつも教えて頂いていることは、無理はせず、痛(いた)気持ちいいあたりを感じること。息はかならず吐いて、吸って。

 

いま、ストレッチや水中ウォーキングなど、出来る範囲でやってるとこです。腰痛の克服めざして。

大阪駅行きのバスに乗って

Posted by : sute.

6月30日土曜日、大阪市営バス62号住吉車庫前発→大阪駅前行きのバスに乗ってきました。
この日は、あべの橋から乗車、近々リハビリ仲間と行くために、下見として行きました。

約1時間のこの路線、まるで観光バスのようなコースで、本当に面白いんです。
住吉車庫前を起点にあべの筋をひたすら北へ上がり、あべの橋-四天王寺西門前-上六-馬場町-天満橋-天神橋-淀屋橋-肥後橋-堂島-桜橋-大阪駅前終点。あべの筋から谷町筋、松屋町筋から土佐堀通りを経て、四ツ橋筋へと、市内の真ん中をつき進みます。

梅田では新しい大阪駅ビルをざっと見てまわり、また同じバスで、あべの橋へと。
途中、中之島公会堂、大阪城公園大手門の真横を通り過ぎたのが、とても印象的でした。
次は途中下車もしてみよう。

個人ブログにも掲載してみました。http://isyuokure.blog.fc2.com/

土曜の朝だからか、親子連れも見かけました。

サウスゲートビル5F、時空(とき)の広場

朝、ラジオ体操に

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久しぶりに、朝、ラジオ体操に行った。3年ぶりだろうか。6時過ぎに勝山公園についた。

体操が始まる前、思い思いにウォーミングアップで歩いたり、話し込んだり。みんな生活の一部になってるんだろう。

ラジオ体操を終えて、何周か歩いたり、スロージョギングしてみた。土の感触がよかった。

公園の北側では、太極拳をしていた。以前は参加したこともあったが、ずいぶんとご無沙汰だ。

これからは気候がいいから、また来よう。朝のこの時間に、すっきりした気持ちで、この場所に立ったことに充実感を感じた。

立春の頃

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大寒も過ぎて、まもなく立春だ。この頃が一番寒いらしい。東京では昨晩の雪で道路が凍ったためスリップ事故が多発したと、朝のニュースで報じていた。
立春といえば、去年11月の「生野コリアタウン共生まつり」で「済州立春タルノリ」を観た。済州島から来た済州ハン文化ネットワークの人たちが演じていた。
プログラムをみると、「1910年代まで立春の頃に合わせ、島内のムダン(巫女 済州島では神房(シンバン))のウドゥモリ(長)を選らぶために行なわれた。ムダンの長は、踊りと師説で信頼を集める存在でなければならなかった。仮面劇が全国に発達した中にあって、済州島固有の伝統民衆劇」だと書かれていた。
当初「鳳山タルチュム」の予定だったが、生野には済州島出身のコリアンが多いことからグループの意向で急遽変更されたらしい。http://www.ikuno-koreatown.com/
ユニークな仮面と踊り、済州島のサトゥリ(方言)に、ハルマン(おばあさん)たちから笑い声があがっていた。二世の私らにも、雰囲気的にわかる。
公園の中ではハルバン(おじいさん)たちが一杯やりながら、「昔、チェジュにおった時は、あんなんは観たことはなかったで」「あんな仮面とかは見たことないな」「それは知らんだけや」などと言いあってた。そういえば、チャンギ(将棋)を見ながら、やいやい横ヤリをいれてくる大人たちの雰囲気を思い出した。
朝鮮市場、いまではコリアタウンという、その中にある小さな公園。済州島から来た若い人たちが歌い、踊り、その故郷・済州島をあとにして60年以上にもなる人たちがそれを観る。ピチピチした若い笑顔と、年輪のごとく深くきざまれた老人たちの顔のしわ。あまりにも対照的な中に、長いながーい時間がよこたわっていたのを感じた。
陽が傾く頃、韓流ファンでごったがえす中を帰りながら、そんなことを思った。共生まつりは、まだまだ盛況で、別のステージからはK-POPのLIVEが聞こえていた。

囲碁

Posted by : sute.

13路盤の黒石4目置き。さあ、ここからが問題。

「あっ、しまった」。円田先生からきびいしい一手が。

月に1~2度、囲碁を習っています。学生時代に友人におそわって以来のことで、まだまだ入門者ですけど結構おもしろいです。
たて、よこ19の目に黒と白の石が交互におきあい、陣地が多いほうが勝つのです。先生との対戦は、ひと回り小さい13路盤でしますが、先に黒石を何目か置いてアドバンテージをもらう置碁(おきご)でします。
序盤はなんとかいけると思っていても、しだいに戦いになり、ここは自分の陣地と思ってたところも、いつのまにか包囲されてたりするんです。石の活死(いきしに)と繋がりが、まだまだなんですね。
でも時には、最後まで堅くかたく打って、なんとか勝ったりするのでやめられません(いや、たまには勝たせてもらっているのかなぁ)。
駄目、布石、捨て石、定石など、数多くの囲碁用語は日本語の慣用句としても定着しています。「将棋はするけど、碁はしたことないなぁ」という人が多いですが、一度ためしてみてはどうでしょうか。

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